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制限により、良い物は生まれる。

書体
TV番組で世界的に有名な、デジタルに関しては元祖とも言える
「書体デザイナー」の方の講演を観ました。
その方は、(こと工業デザインに関しては)
「用途、制限(制約)により、むしろそれが無ければ
良い物は(良い書体)は、できない。また、だからこそ
良い物ができる。」
と、おっしゃっていました。
この講演を観ながら、個人的にも腑に落ちる点が多々ありましたので、
今回はこの、「制限と物作り」の関係性について、考えてみたいと思います。

そもそも「マシン・スペックが足りない」
今でこそコンピュータと言えば、動画、音楽、ゲーム等
そして、それらを総括する「情報」を瞬時にやり取りできる時代に
なりましたが、コンピュータの黎明期は、クリエイターのイメージに
マシンのスペックが追いつきませんでしたので、そこを前提とした
物作りをせざるを得ませんでした。書体もまた、番組を観る限り
全く同じ試行錯誤をされていました。

「「少ないドット数とアナログ画面の滲みが生み出す
「目の錯覚」を利用したデザイン」」
番組ではデザイナーの方が、「遠目に見た時、自然に見える様に」
方眼紙、1枚1枚に1文字ずつ書体をデザインしていた事例を挙げていました。
その際、ワザとドットを抜いたりして、画面に映った時に結果的に
「自然な書体に見える」工夫をされていました。それほどマシンスペックが
「低かった」と言えます。私はTVゲーム大好き世代ですので
この講演については、非常に納得のいく事が多々あります。

「「弾が撃てないから「スネーク」。棒が延びないから「弾」。滲みで「中間色」。」
パッと思いつく限りでは「メタルギア」の小島監督が
「スペックが低すぎて弾が撃てません!」に対し、
「じゃあ替わりに隠れながら進もう。」(スパイアクションの元祖)
西遊記をベースにした横スクロールアクションで、
「孫悟空が如意棒を伸ばすアクションが再現できない。」に対し、
「じゃあ弾を撃とう。」(横スクロール・シューティング)
あとはハードですが、「メガドライブ」は色数が出せないので、
上記、書体デザイナーの方と同様に、色の滲みを前提にした配色で
「中間色」の表現をしていました。

最後に。「TVゲームのCDROM化」以降、私がよく感じる事。
容量が増えて、クリエイターが「何でも出来るが故に何がしたいのか
当人達も、よく解らなくなっているのではないか?」
と感じる事が、たまにあります。
(私はシンプルなゲームが好きなので、あくまで個人的感想です。)